大切さは学べない

大切さを学びました、重要性を学びました、という表現が嫌いだ。
頭で「◯◯はいいことだ。◯◯には△△が必要だ。したがって△△は重要だ」というロジックを知っているだけであり、
感情が動かず、行動も伴わないためだ。
たとえば、「自然の大切さを学びました」「命のかけがえのなさを学びました」
と口で言えても、特に自然を保護したり、命を守ったりできるわけではない。
それは何か学んだことになるのだろうか?
私はしばしば人に「健康にストイックだ」と言われることがある。
ダイエットをしていたり、禁酒していたり、筋トレをしているからだ。
それは健康の大切さを知っているからではない。
健康の気持ち良さを知っており、不健康の痛みを知っているからだ。