人生の目的を語らない

人生の目的という言葉が嫌いだ。
期間が長すぎるのだ。
一般に目的というのは、ある思考する主体に行動の選択肢があるときに、特定の行動を選択することで期待できるメリットのことだ。
人生の目的はこの要件を満たすだろうか?
まず、目的をもつ主体は自分である。さもなくば、「子作りの目的」「他人の人生に関与する目的」など、別の表現になるはずだ。
次に、人生というのは、生まれてから死ぬまでの期間を表す。
生まれる前に行動の選択肢があるとは考えられていない。 成長してもたかが胎児である。
また、死んだ後には自分がメリットを享受できない。死んだら自分がなくなるからだ。
先の要件をまとめると、行動の目的を語るためには、行動前の選択と、行動後に期待されるメリットが必要だ。
行動に人生全体をあてはめると、前後が誕生前と死後になり、主体がなくなってしまう。
期間を狭めて考えるべきだろう。